287,「衣としての布、材料としての布」

2005/07/29

みなさん、こんにちは。坂口昌章です。
久しぶりにファッションビジネスではなく、ファッションそのものについて
話し合う機会があった。残念ながら、相手はファッション業界の人間ではな
く、アート寄りの人間だったが。

ファッションに携わる人間は、本来、ファッションが好きでなければならな
いし、アートや文化に関心を持っていなければならないと思う。そして、あ
らゆる分野のアーティスと、クリエイター、デザイナーと対等に、かつ闊達
に話し合えなければならない。そうでなければ、ファッションは文化的に一
段低い位置に甘んじなければならない。売上だけを誇るアパレル企業の経営
者は、確かに優秀なビジネスマンだろうが、ファッションの世界では素人だ。

もっとファッションそのものに関心を持ちましょう。そうでなければ、ジャ
パンオリジナルは生まれません。



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「衣としての布、材料としての布」

長年、ファッション業界にいても、意外にデザインやファッションについて
真剣に話し合う機会は少ない。興味のあるのは売上げや利益ばかりで、ファ
ッションの質に関する話はほとんどなされないのだ。

パリ、ミラノ、ニューヨークなどでは、常にアートやファッション、デザイ
ンについての会話が飛び交っている。その辺りに、日本のファッション業界
の層の薄さを感じてしまう。

昨日、たまたまアート寄りの人と話す機会があった。久々にファッションに
ついて、特に「アジアの文脈の中でのファッション」(アートっぽい表現!)
について考えさせられた。

ヨーロッパの衣服は、基本的にフォルムの服、シルエットの服だ。人体とい
うフォルム、理想的なプロポーションが原型となり、その上に衣服のフォル
ムが重なる。ファッションデザインの中心もフォルムであり、基本的なフォ
ルムの上に様々な変化が加えられる。布はあくまで服の材料であり、シルエ
ットを表現するマテリアルだ。

きものや世界の民族衣装を見ると、布そのものが衣服であるケースが多い。
服装史によると、服の始まりは古代エジプトの腰ひも、シェンティとのこと。
当然だが、この細紐は細く織られた布であり、広い幅の布を裂いたものでは
ない。アフリカの民族衣装には、細く織られた紐状の布を接ぎ合わせたもの
が多い。

きものは、着尺幅の布を接ぎ合わせた構造である。布そのものが衣服である
という原則の中では、布のデザインの表現の多彩さ、服の形状をみても、最
も洗練された衣服の一つだろう。

布そのものが衣服であり、布そのものに命を感じているのだ。ここでいう服
のデザインとは、布のデザインに他ならない。布の服の材料ではなく、布が
服そのものなのだ。

テキスタイルデザインにおいて、この違いは圧倒的だ。布を曲線的に裁断し、
立体、フォルムを作り出す洋服において、理想は布ではなく、皮革なのかも
しれない。その意味では、不織布という素材は洋服に相応しい。「布に不織
布の芯地を張る」「布に伸び止めテープを張る」という行為は、布の命を奪
い、布の皮革化を目指していると解釈できる。

布そのものが衣服である場合、タテ糸とヨコ糸により構成される「方形」が
パターンの基本になることはごく自然なことだ。タテ糸とヨコ糸の関係を壊
す曲線的な裁断は、布の命を奪う行為にほかならないのだ。

日本のテキスタイルがヨーロッパにない優れたテクニックを有しているのは、
こうした布に命を与えてきた歴史ゆえだ。アジアのファッション、日本のオ
リジナルというテーマを考える時に、こうした西欧とそれ以外の地域の服の
違いを認識することは非常に重要だと思う。

布に命を吹き込む行為と、布による服に命を吹き込む行為は、基本的に異な
る。洋服の場合、あまりにも布が主張すると服にならない。服を邪魔するの
だ。従って、きものの生地を洋服に仕立てることには無理がある。(無理が
ある分だけオリジナル性が出るという解釈もあるだろうが・・・)

布そのものが服である。そのオリジナル性を追求するという意味では、ヨー
ロッパよりもアフリカ、東南アジア、中近東等に関心を持った方が良いかも
しれない。それらの民族衣装に現代という時代を吹き込む役割はやはり日本
にあるのではないだろうか。



執筆担当:
有限会社シナジープランニング( http://www.j-fashion.net/ )
( http://j-fashion.cocolog-nifty.com/ )
代表 坂口昌章
文化服装学院客員教授
ジャパンクリエーション・総合コーディネーター
文化女子大学特別講義講師 他歴任