280,「平時と非常時」 2005/05/27
みなさん、こんにちは。坂口昌章です。 =================================== 「平時と非常時」 JR西日本福知山線の事故で、JR西日本の企業体質が問題になっている。 事故車両に乗り合わせていたJR職員が救助活動に加わらず会社に出社した とか、当日、ボーリング大会、ゴルフ大会、宴会に参加していたとか。また、 JR西日本の記者会見等の対応も批判されている。確かに、いろいろな部署 の管理職が次々と登場するが、誰がどんな責任者なのか、さっぱり分からな いし、全社的な対応というものが見えて来ない。 マスコミはここぞとばかりに責め続けているが、つい先日のフジテレビやニ ッポン放送のゴタゴタぶりを見るかぎり、もし、マスコミ企業自身が同じよ うな事件に巻き込まれたら完璧に対応できるかは疑問だ。マスコミ各社が人 命に関わる事件に遭遇する確率は低いだろうが、例えば、大地震に遭遇した り、社屋に爆弾が仕掛けられたり、飛行機やヘリコプターが飛び込んできて、 死傷者が多数発生した場合、きちんと対応できるだろうか。人命優先で企業 活動をコントロールできるのか。そもそも非常事態を想定したマニュアル等 が整備されているのか。そういう場合の総責任者は存在するのだろうか。 JR西日本の対応は、平時の対応である。鉄道のダイヤを死守するように、 ボーリング大会やゴルフ大会、宴会のスケジュールを消化したに過ぎない。 おそらく、彼らに非常時という発想はないのだろう。 阪神大震災の時に、あれだけ多数の死傷者が出たにも関わらず、当日、多く のサラリーマンが会社に出ようとした。もちろん、大震災の被害の全貌は明 らかになっていなかったので無理がないと言えばそれまでだが、多くのサラ リーマンが非常時の対応が全く頭になかったのは事実だろう。どんなに悲惨 な状況を見ても、平時の行動をしてしまうのある。 平時にはボトムアップの行動で良い。セクショナリズムも許容されるだろう。 しかし、非常時には強いトップダウンが必要になる。セクショナリズムでは なく、統一的な行動が必要になるのだ。しかし、日本では非常時の備えをす ることはタブーになっている。非常時のことを想定したり、非常時のことを 発言するだけでも、嫌な顔をされるのだ。「縁起でもない」で議論は打ち切 りである。 非常時には、まず全ての権限と責任を持つ責任者を決めなければならない。 あくまで非常時に限定されるものであり、平時とは区別した責任者である。 日本人はこれが苦手だ。非常時でも全権責任者を設けると、平時にもそれが 影響すると考えてしまう。しかし、全権責任者を設定しないかぎり、非常時 の組織は機能しない。 全権責任者を決定ししたら、次は情報収集である。JR西日本だって、運転 士が不明だったのであり、その命を救おうとすれば、どんなに小さな情報で も全てを責任者の元に集中させなければならないだろう。その上で、各専門 分野のスタッフで事態を分析し、戦略を立て、行動命令を出す。これらは全 て責任者が行う仕事だ。JR西日本は総責任者も決定せず、情報収集を行う という意志もなかった。役員が会見で、『事故や事件をテレビや新聞で知っ た』と悪びれずに発言しているのも、非常時という認識が欠如している証拠 である。 JR西日本の会見が散漫な印象を与えるのは、こうした非常時の体制や責任 者の存在が感じられないことである。そして、平時の様々な部署の担当者が 会見に出てきては、個人の感想や意見を述べている。これは他人事ではない。 日本人全体の問題とも言えるのだ。 執筆担当: 有限会社シナジープランニング( http://www.j-fashion.net/ ) ( http://j-fashion.cocolog-nifty.com/ ) 代表 坂口昌章 文化服装学院客員教授 ジャパンクリエーション・総合コーディネーター 文化女子大学特別講義講師 他歴任 |
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